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第29話 八年前の翌日

ผู้เขียน: なつめ
last update วันที่เผยแพร่: 2026-08-22 07:55:28

 紫外線の光に浮かんだ文字を、五人はしばらく見つめていた。

 私はここから出た。

 でも、誰かがもう一度連れ戻した。

 壁材へ染み込んだ文字は、表面だけに書かれたものではなかった。美月が手袋をつけ、剥がれかけた塗装の端を慎重に確認する。紫外線を角度を変えて当てると、文字の輪郭は壁の内側まで残っていた。

「最近書いたものじゃない」

 美月が低く言った。

 澪は振り返る。

「分かるの?」

「塗装の上に書かれてるんじゃない。古い層まで染みてる。少なくとも、今夜誰かが書いたとは考えにくい」

 悠斗が焦げた壁へ近づく。

「八年前?」

「断定はできない。でも、その可能性は高い」

 奈々香が両腕を抱いた。

「じゃあ、本当に澄花が書いたの?」

 誰も答えられなかった。

 だが筆跡は澄花のものだった。

 音楽室の楽譜。

 心霊研究会の古いノート。

 高校時代、澄花が何度も書いた丸みのある文字と一致している。

 澪は一行目を見た。

 私はここから出た。

 胸の奥で、八年間動かなかった何かが崩れた。

「じゃあ……」

 声が掠れる。

「私が澄花を置いて逃げたあとも、生きてた」

 美月が澪を見る。

「そうなる」

「準備室から出た」

「少なくとも、これが本人の記録なら」

 澪は焦げた扉を見た。

 八年前の自分。

 開かない扉。

 助けを求める澄花。

 背後から腕を掴んだ誰か。

 そして、自分は逃げた。

 その記憶を、ずっと澄花の最後だと思っていた。

「私が見捨てたから死んだんじゃない」

 言葉にした瞬間、胸が軽くなることはなかった。

 むしろ別の重さが加わった。

「でも、誰かがもう一度連れ戻した」

 壁の二行目。

 美月の目がそこへ落ちる。

「一度出た澄花を、誰かが捕まえた」

「事件の翌日まで生きてたなら」

 悠斗が検査記録を見る。

「その誰かは、警察が捜索してる最中にも校内を動けたってことになる」

「管理通路を使えば」

 奈々香が言う。

「見つからずに動ける」

 朔は無言で壁の文字と通路図を撮影していた。

 澪はその横顔を見て、胸元の手帳へ指を当てた。

 まだ隠している。

 朔が撮っているものと、私たちが見ているものは同じじゃない。

 その一文が、いままでよりはっきりと意味を持ち始めていた。

「翌日」

 美月が突然呟いた。

 澪が見る。

 美月は小瓶を握ったまま、視線を床へ落としている。

「何?」

「私、来た」

 声が小さい。

「どこに?」

 美月は答えるまでに長い間を置いた。

「ここ」

 澪の呼吸が止まる。

「事件の翌日、私は一人で七刻女学校へ戻った」

 悠斗が顔を上げた。

「は?」

「警察の捜索が本格的に始まる前」

「いつ」

「明け方」

 準備室の湿った空気が、一気に重くなる。

「どうして」

 澪が問う。

 美月は小瓶を見つめた。

「澄花が死んだと思えなかった」

「でも警察が」

「警察は血の量を見て、死亡している可能性が高いと言っただけ。遺体は見つかってなかった」

 美月の声には、当時の息苦しさが滲んでいた。

「救急車が来たとき、私はずっと考えてた。大量に出血してても、止血できれば生きている可能性はある。頭部なら見た目以上に血が出ることもある。何も確認しないまま死んだと決めるのが嫌だった」

「それで一人で戻ったの?」

「うん」

「危険だって分かってたでしょう」

「分かってた」

 美月は苦く笑った。

「だから誰にも言わなかった」

 悠斗が拳を握る。

「お前、昨日からそればっかりだな」

「あなたもでしょう」

「そういう話じゃない!」

 声が響く。

 朔が間へ入らず、ただ二人を見ていた。

 美月は続ける。

「門の近くにはまだ警察が少なかった。裏側の崩れた柵から入った。理科準備室へ来たら、この小瓶が床に落ちてた」

 標本七。

「そのとき、壁の文字は?」

 澪が尋ねる。

「見てない」

「紫外線がなかったから?」

「それもある。でも、もし普通に見えてたら覚えてる」

 美月は焦げた扉を見る。

「準備室には血の跡があった。誰かが歩いた跡も。でも、澄花はいなかった」

「誰かがいた?」

 その問いで、美月の表情が変わった。

「いた」

 奈々香が息を止める。

「誰」

「分からない」

 悠斗が苛立つ。

「また分からないかよ」

「顔を見てない!」

 美月が鋭く返す。

「奥の廊下で音がした。誰かが歩いてた」

「警察じゃないの?」

「違うと思う」

「何で」

「カメラを持ってた」

 澪は朔を見た。

 奈々香も。

 悠斗も。

 朔だけは表情を変えない。

「どんなカメラ」

 朔自身が尋ねた。

 美月は一瞬、答えにくそうに目を逸らした。

「あなたが使ってたものと同じに見えた」

 沈黙。

「八年前の撮影用?」

「黒いビデオカメラ。肩に載せるほど大きくはない。側面に赤い録画ランプがあった」

「顔は?」

「見てない。角を曲がったところで気づかれた」

「何があった」

「向こうが止まった。私も止まった。赤いランプだけが見えた」

 美月の呼吸が浅くなる。

「それから、こっちへ歩いてきた」

「逃げた?」

「走った」

「追われた?」

「分からない。振り返らなかった」

 澪の背中が冷えた。

 八年前。

 少女を置いて逃げた自分。

 そして翌朝。

 校舎の中から逃げた美月。

 誰かが撮っていた。

「どうして警察に言わなかったの?」

 澪の声が強くなる。

 美月の唇が震えた。

「小瓶を持ち出してたから」

「それだけ?」

「不法侵入もしてた。捜索中の現場に勝手に戻った。見た人間が誰かも分からない。私が疑われると思った」

「澄花が生きてたかもしれないのに?」

 澪自身、言ったあとで胸が痛んだ。

 自分も同じだった。

 澄花の声を聞いたことを隠した。

 奈々香も。

 悠斗も。

 誰もが、自分が疑われることを恐れて口を閉ざした。

 その沈黙の積み重ねが、八年間を作った。

「ごめん」

 美月が小さく言った。

「言える立場じゃないけど」

 澪はそれ以上責められなかった。

「事件翌日って、俺は警察にいた」

 朔が言った。

 全員が彼を見る。

「午前四時台から事情聴取を受けてる。途中で移動はしたが、時間帯によっては記録が残ってるはずだ」

「途中で?」

 悠斗がすぐに食いつく。

「どこへ」

「署内。別室へ移された」

「一人になった時間は?」

「覚えてない」

「またかよ」

「八年前の事情聴取の分刻みの記憶まで残ってる方がおかしい」

 朔の声は平らだった。

「確認できるなら後で確認する」

「警察が記録を残してればな」

 奈々香の視線は朔から離れなかった。

 澪は信じたいと思った。

 事件翌日に朔が警察にいたなら、美月が見た人物ではない。

 でも。

 未編集映像。

 八年前のカメラ。

 澄花の楽譜。

 澪は胸元を押さえた。

「澪」

 朔が気づく。

「何かあるのか」

「……ない」

 嘘をついた。

 その瞬間だった。

 準備室の奥から、小さな電子音が鳴った。

 ぴっ。

 五人が振り返る。

 ビデオカメラの起動音。

 澪は八年前、何度も聞いた。

「どこ」

 悠斗が懐中電灯を動かす。

 薬品棚。

 誰もいない。

 だが、棚の裏から青白い光が漏れている。

 朔が近づき、側面を調べた。

「動く」

 棚を美月と悠斗が支え、少しずつ横へずらす。

 裏の壁に、小さな金属扉があった。

 幅五十センチほど。

 鍵はない。

 朔が開ける。

 浅い保管庫。

 中に、黒いビデオカメラが置かれていた。

 澪は息を呑んだ。

 八年前。

 朔が使っていたものと同型。

 いや。

 角の白い傷。

 側面に貼られた剥がれかけの番号札。

「これ……」

 澪が朔を見る。

 朔の目もカメラから動かなかった。

「俺が使ってた本体だ」

「警察に提出したんじゃないの?」

「提出した」

「じゃあ何でここにある」

 悠斗が詰め寄る。

「知らない」

「返却されたって前に言ってたのは?」

「返却された機体とは別だ」

 朔の声が初めて僅かに揺れた。

「同じ番号がある」

 美月が側面を見る。

 誰も触れていない。

 それでもビデオカメラの液晶が開いた。

 青白い画面。

 電池表示は空。

 バッテリーは完全に切れている。

「動くはずない」

 朔が呟く。

 映像ファイルが一つ表示された。

 再生。

 誰もボタンを押していない。

 画面に理科準備室が映った。

 日付。

 八年前の事件翌日。

 午前五時十二分。

 カメラの視点は、準備室の廊下側からだった。

 焦げた扉が開く。

 中から、少女が出てくる。

 澪の指先が震えた。

「澄花」

 間違えようがなかった。

 制服は泥と血で汚れている。

 額の右側が裂け、乾いた血が頬まで流れていた。

 歩き方も弱い。

 それでも自分の足で立っている。

 生きていた。

 八年前。

 失踪した翌朝。

 澄花は生きていた。

 奈々香が泣き声を漏らした。

「本当に……」

 美月は画面へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。

「私が来た時間と近い」

 映像の澄花はカメラへ気づいた。

 足を止める。

 顔を上げる。

 恐怖より、怒りがあった。

「犯人は、昨日の七人の中にいる」

 澪の心臓が強く打つ。

 七人。

 雨宮澪。

 神代朔。

 椎名澄花。

 早乙女美月。

 黒瀬悠斗。

 白石奈々香。

 相馬透。

 澄花自身を含めた、あの日の七人。

 画面の外から男の声がした。

『分かってる。だから、証拠を撮りに来た』

 声は激しく歪んでいる。

 低い音と高い音が重なり、誰のものか判別できない。

 透の加工に似ているようにも聞こえた。

 澄花がカメラへ近づく。

『本当に分かってる?』

『ああ』

『じゃあ、昨日消された八分を――』

 映像が激しく乱れた。

 白い線。

 砂嵐。

 音が切れる。

「待って」

 澪が液晶へ手を伸ばす。

 映像はそこで途切れた。

 再生画面に戻る。

 だが日付表示が変わった。

 現在。

 今夜。

 午後十一時四十二分。

「何……」

 奈々香が後退する。

 次の映像が自動で始まった。

 校門。

 今夜の七刻女学校。

 雨。

 木箱が六つ並べられている。

 まだ澪たちは来ていない。

 門の外にも誰もいない。

 画面の端から、一人の人物が歩いてきた。

 黒い雨具。

 深いフード。

 顔は見えない。

 右手に撮影用のカメラを持っている。

 人物は門の前で一度立ち止まり、六つの箱を見る。

 それから鍵の開いた門を抜け、校舎へ入っていった。

「こいつが」

 悠斗の声が低くなる。

「俺たちより先に入った奴」

 美月が時刻を見る。

「全員がまだ山道の入口にいた時間」

 人物は一度も顔を上げない。

 歩き方から性別も判別しにくい。

 身長は朔や悠斗に近い。

 右手のカメラだけが、雨を受けて鈍く光っている。

 映像の最後。

 校舎へ入る直前。

 フードの人物が一瞬だけ立ち止まった。

 カメラを持っていない左手が、首元へ上がる。

 袖口から、腕時計が覗いた。

 映像がそこで止まった。

 黒い文字盤。

 銀色の縁。

 八年前、七人全員が持っていたのと同じ型だった。

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